Letitgo

結論、自分の音楽で誰かが幸せになってくれれれば、それに越したことはない。

 


昨日、遠方から友人がウチまで遊びに来てくれて、色々、談笑した結果そういう答えに辿り着いた。

 


わざわざ書くことではないかもしれないが、頭の中を整理する為にiPhoneのメモ書きを走らせている。

 

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数値化される世の中で、特に表現者は他人(便宜上商売敵)と比較しては苦しんでいるように思う。

 


俺は、数値化できることに一喜一憂しない性格なのか、例えば万バズすることよりも、単純に1万回同じ曲を聴かれた方が嬉しい。し、それは有り難くも叶っている。

 


欲がないわけではないが、自分の中の根源的祈りや願いみたいなモノが澱むことは、音楽人生以前に自身の健康状態に良くないんだと思う。

 


それに本当に恵まれているのは、毎日、誰かと音楽の素晴らしさについてリアルな世界で情報交換できる喜びは何ものにも代え難い。その時間が1番幸せだと言い切れる…かもしれない。

 


とは言え、腐っても表現者なので、インプットとアウトプットのバランスは年々気をつけている。1人でいる時間も当然、必要。

 


情報過多な時代に生まれ育ち、それ自体が非常に恵まれている。俺は思う、バンド・ヒップホップ・映画や飲食店でもそうかもしれないが、誰も彼もが賞レースに参加しているわけではない。

 


クリリンやチャオズのいないドラゴンボールはつまらないし、やたら性格の良いスネ夫や出来杉くんばかり出てくるドラえもんはきっと面白くない。

 


引いてみるとこれはスタイルウォーズ。"みんな違ってみんな良い"ってほど達観はしていないけど、必ず学ぶポイントはあると信じたい。

 


一括りに音楽・芸術・エンタメとは言っても自分が幸せの状態にいなければ(恐らく)その誰かを喜ばすことなんてできない、と(今の俺は)思う。同じくらい、ハングリー精神はもちろん大事だと思う。

 


余裕がない、ひっ迫した状態の中から生み出されたモノも確かにある。でもその先でまた誰かが感銘を受けるということは結果的にポジティブな行動なんじゃないかな。

 


日夜、そういうことを友達と話している。だからブログやTwitterに書くことがない。これは俺にとって幸せな状態である。

 

 

ということをなんとなく書き記しておく。