点画系イタコスタイル

ウエダテツヤ氏

https://x.com/uedagym?s=21&t=fE9FFyc1k4lFpTI_Oz9_LA

からのお題をいただきました。

 

「ブログお題、以下でどうですか?

——

【放物線の距離感】


※今回、“フリージャズ的な” とか “音楽と生き方の関係” とか “パッション” とか、哲学的なものは一旦横に置く。現実の身体と意識の使い方のハナシ。


——私自身にとって音楽とは、点から放たれた意識の塊が、重力の作用で線を描いて再び点に触れる様なイメージに書き出す事が出来そう。


この場合重力とは人それぞれの個性だったり、経験だったり、ブルースだったりすると思う。


アンサンブルをする上で、

点を意識しながら、ハーモニー・メロディメイカーの曲線に寄り添うのを生き甲斐としていて、全体のグルーヴとダイナミクスが最優先なのがドラマーの私。


一方、詩人・歌手・ギタリスト(メロディハーモニー)を担う立場の印藤勢は、ライブ・レコーディング問わず理想の放物線を描く為に、何に没入して何を優先し、何を犠牲にしているか聞いてみたい。


[アンサンブル=内面(エゴ)からはズレていくもの]

との落とし前の付け方の話を、リアルにお願いします。」

 

 

…なるほど、難題だ。


先ずは、ベッド・インちゃんまいとの第一子誕生、本当におめでとう。そして、いつも気にかけてくれてありがとう。


前回の質問と、地続きな印象があるので、"生演奏をする際"という場合に限定して答える。


この世の、ありとあらゆるものは、粒子 / 原子 言わばピクセルで出来ていると思う。だから、俺の声や弦の振動が、空間に(それを見ている対象者を含めて)どんな絵が描けるか、そんなことしか考えてない。


なるべくタイトに演奏することや、歌のピッチや滑舌など、出来るだけ解像度を高く表現できるように準備はしているが、演奏が始まってしまえばそんなことは殆ど関係ない。


繰り返しになるが、リスナー / お客さん含めてその感情(感覚)のピクセルでなるべく大きな絵を描く。なるべく豊かで、流動的な時間を支配する。


恋や、あの、何かに夢中になった時間に似ている。それは1人でプラモデルを作る、でもいいし、とにかく没頭している時間というか空間。


「犠牲」については肉体だと思う。俺が、俺の身体が本番中に自動演奏してくれなきゃ困る。だから訓練を重ねる。その瞬間瞬間、魂の音色にできるだけ応えたいので。会話やセックスにも似ている。


「エゴ」という存在がステージにマイクの前にいるようで、ある意味、憑依的な作業(イタコ的ポジション)だと思う。俺、という実体が必ずしも伴わない、あくまでバイアス的な立ち位置が、今のバンドで表現したいことだ。


きっとこのブログもインターネットを通じて、キャッチボール(の訓練)がしたいのだと思う。


哲学的かな笑 以上です。

 

 

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虚無 206

https://x.com/otsukameets/status/1760261617969959107?s=46&t=fE9FFyc1k4lFpTI_Oz9_LA


最高でした。友達と実験的に始めたイベントだったけど、MEETSサイドが音響・シチュエーション込みで力を貸してくれた為、お客さんにとっても居心地の良い不思議空間だったのかな、と思います。