青春の権利

・「性善説」「性悪説」どちらと思いますか?

(最近人から「自分は性善説を支持している」と言われて)

 


どちらでもない。何が善で、何が悪かは立場・人によって違うと思うので、俺にはわからない。しかし、性善説を推したい気持ちはわかる。赤ちゃんの顔を、特に瞳を見ているとそう思う。存在自体が尊いというやつだ。

 


逆に、物心ついてからの方が残酷な遊び方を(誰に教わったわけでもなく)覚える。そのうち自己嫌悪や罪悪感が生まれ、世の中を懐疑的な目で見るようにもなる。答えになっていないと思うが率直な感想。

 


関連してですが

・「善人」とはどういう人のことを言うのでしょうか。「悪人」とは?

 


ほぼ問一と同じ答えになるが、「思いやり」を行動で示せる勇気のある人間のことは善人と呼べるだろう。悪人は故意に、誰かを陥れたり、他人から奪うことが癖になっている場合は自覚のある無しに関わらず俺は距離を取る。

 


しかし、これもまた悪人だから裁くべき存在か?と言われると難しい。問題そのものよりも、その人が生まれ育った環境に答えがあるような気がする。

 


・芸術と称すればどんなことでも表現していい?

(表現の不自由展 開催時に思ったこと。つまりは表現の自由って本当にあるの?ってこと)

 


だめです。芸術が言い訳になることはあり得る。が、芸術"を"言い訳にするのはどうだろう。自己犠牲(自己憐憫 / ナルシズム含む)が伴っているうちは良いが、他者への過度な期待や度を越した破壊行為は容認できない。

 


例えば、戦争はアートではない。いくらそこにアート的な側面があったとしても、誰かが不本意な気持ちになることは容認できない。その上で表現の自由はあると思う。解釈が無限なのだから。

 


・音楽で世界を変えることはできますか?

 


思わない。自分を変えることはできる。自分と自分の目に映る人たちに良い影響を与えることはできる。それを"世界"と呼ぶなら君はどう思うだろうか?

それが俺の命題でもあります。

 


以上、松波哲也さん(https://x.com/matsunami429?s=21&t=fE9FFyc1k4lFpTI_Oz9_LA)からのお題でした。

 


先日行われた大塚でのライブ、素晴らしかったです。打ち上げも含めて、コロナ禍を脱したかのように思えるサヴァイヴァーたちと語り合っていたね。俺にとってはかけがえのない日々、ワンシーンの連続です。月並みだけど、青春の権利はいくつになってもあるのだなぁ、と。

生きよう!

 

 

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regaの復活祭を観てきた。スリーピースバンドってカッコいい、そんな単純な気持ちを思い出させてくれた。時に、ライブとは音楽性そのものを超越した生きる気力が湧く瞬間がある。生きていてよかったと実感する刹那がある。俺もそんなアーティストになりたい。友達として誇らしかった。優越感ではない、メンバー同士の横顔を見ながら本当にそう思った。

 


竜二、Tシャツ着てくれてありがとう。おかえり。

 

 

 

 


マシリトの活動報告はない。音源を作りたい。それまでインターネットの向こう側で、スピーカーのそちら側で、なんとか繋がっていることを祈る。皆さんの健康を祈ってます。

またいつか!