境界線に立っている

日本には四季がある、幸せだ。

とは言っても、○月○日から夏ですよ

みたいな線引きはない。

それぞれが生活の中で、今日はこんな日ですね

とか、最近暑くなりましたね、とか

その日、出会う人々と季節の輪郭を答え合わせしている。

 


特に夏は、夏の入り口はそういった会話が弾む。

思い返してみれば鮮明に焼き付いている記憶は夏が多い。

苦々しい思い出も含めて

想起させるDNAが体内に蓄積されているような気もする。

それが突然、活発に動き出したかのような。

 


四季といえども、真夏や真冬のようにわかりやすい気候よりも春や秋のような儚い、(温度という数値化ではなく)体感でしか言い表せない風のように過ぎる季節の方が個人的には好きだ。

 


しかし、俺は夏を中心に一年のサイクルがあるような気がしている。

"夏の始まり"

"夏の終わり"

唯一、創作物から解き放たれて外へ飛び出していく感覚がある。それを誰かと共有したい。

 


対して、冬はジッと腰を据えて音楽という実体・実物のないモノに注視する時間、緊張感が永続する。

またそれらが反映される頃(制作期間〜リリースまで)にはあっという間に夏である。

相対的に考えると日本に四季があるのは自分以外の人間にとっても(表現活動をしている / いないに関わらず)芸術的な豊かさを孕んでいる。

 


聴いてくれる人がいるから俺たちがいる。

そこに明確な線引きなどあるだろうか。

 

 

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