「亡骸に花束を。」

(逆説的運命論者シリーズがおかげさまで好評なので、スピンオフも掲載しておく。Twitterには載せない。)

 

 

 

 

 

誰もが、十字架を背負っている。100人いれば、100通りの孤独がある。サイドストーリーを書き記す。俺がまだANTIKNOCKのブッカーだった頃の話だ。

 


SMKが自分のバンド人生におけるルーツ"源流"なのは言うまでもない。眩し過ぎた青春に自分の身も心も捧げた。俺はANTIKNOCKのスタッフとして働きながら若手(自分より年下の)バンドマンやアーティストの面倒を見た。新人育成と言えば烏滸がましいのだが、一般的なイメージとしては大体合っている。

 


未だに俺はそういう役割を続けている。あの頃出会った若い人たちも今じゃすっかり大人だ。ブッカー現役時代、俺は"友達を大切にしなさい"ということだけ繰り返し言っていた。卵が先か?鶏が先か?みたいな話だけど"コイツと音楽さえやらなければこの関係性は今と違ったはずなのに"と懺悔する場面に直々、出くわすからだ。

 


幼馴染とバンドを組もうが、メンバー募集で他人同士と出会おうが、同じだ。音楽とは残酷なモノである。実力や動員、シーンでのランキングに気を使いながら、作詞作曲をし晴れ舞台を夢見る。それぞれの"満足"に行き着くまで、途方もない努力と軋轢、とにかく神経をすり減らす。

 


事実、恐らくもう一生会わない、会えない人も数多くいる。それは致し方ない話だが、そんな群像劇のど真ん中に"ライブハウス"という職業は存在する。俺は底に15年以上、勤めていたんだ。

 


ANTIKNOCKでなければ続かなかった。社会不適合者の自分はそう思う。しかし、後ろを振り返るとスタッフ、バンドマンという垣根を超えて、今も付き合いのある人間は皆、口を揃えて言う。

 


「俺たち、出会えて良かったよな。」

 


あの頃は若かった。"未熟"という意味でだ。数え切れないトラブルに首を突っ込んでは、自分が諌めなければ!解決してやらないと!そんなお節介をよく焼いたモノだ。自分の実力以上の使命感に突き動かされ、役割と仕事を履き違えていた。それはきっと、俺の十字架のせいだ。

 


しかし、そのおかげで奇跡のような美しい体験に何度も出会った。感情移入し過ぎ!と言われればそれまでだが、もし俺に文才があるなら、いつか無名のファイターたちが残した"伝説の試合"を事細かに記したいくらいだ。それが“ライブハウス"という時代だった。

 


距離感がわからない、線引きがバグっている俺にとって、ANTIKNOCKはANTIKNOCKでしかない。十字架を背負って、幻影を追いかけているのかもしれない。形は違えど、いちミュージシャンとして今もお世話になっている。俺はドラマを代弁しない、当事者でいるうちは。

 

亡骸に花束を。