「あなた、昔から夏が苦手だったわよ」母親はさもありなん、という顔で俺にこう言った。自分のことって意外と自分じゃわからない。得体の知れぬ不快感と"死の匂い"がするから夏は苦手だ。決して嫌いなわけではない、ただ炎天下のアスファルトに立ち尽くすと俺は急激に不安になる。その正体について語る
豊島園のプールを思い出す。子供の頃、フリーパスという特権を使って毎日のように遊びに行った。ある時、親の同伴なく、友達も連れて行かずに一人で泳いでいるとそこには夏休みのテンプレのような人たち、光景が眩しすぎて逆に孤独を感じたことがある。人混みで感じる虚しさと、味気なさに意気消沈した
寂しがりやの一人好き、という贅沢な弊害が初めて俺を襲った瞬間かも知れない。夏以外の季節は自分からの視点で物事が見れるが、夏だけは地球規模であの夏のテンプレイメージが行われているような気がして、世界と俺という対立構造がやけに解像度高く映る。その群像劇に取り残された自分という視点だ
側道に打ち捨てられた猫の死骸、欠損した蝉の抜け殻、雨風にさらされ続けてドロドロのカピカピになったエロ本、必要がなくなった"生命たちの容れ物"がランダムに視界に飛び込んでくる。俺もいつか夏に殺されるのだろうか。そんなことを忘れたかのように人々は目一杯はしゃいでいる。永遠を退けながら。