逆説的運命論者③

悲しい、痛々しい思い出を書く前に"俺たち"とは一体、なんだったんだろうか。あのエネルギーはどこからやってきてどこへ行くのか。まだそれは続いているし、やめられない=やめさせてもらえない。つまり天命のようなモノを感じる瞬間が多々ある。

 


それは恋愛や家族、上司や部下、同僚といった関係性では決して築かれることのない奇跡だ。奇跡、という言葉を軽んじて使うつもりはないが、自分自身、アイツらといるとそういう天下無双のような、全知全能にでもなったような気がした。

 


さて、話を戻そう。

 


SIDEKICK9の解散が決まった。自分の身体の一部を持っていかれるような喪失感、自分のバンドではないのに、いや、自分のバンドではないからこそだろう。激しい痛みと、慟哭が続いた。

 


そして、前回書いたイベント当日、アイツらは持ち前のポジティブヴァイヴスを全開に放出させ、死んだ。皮肉な話だ。唯一無二の友達のリリースツアーファイナルで解散するなんて、今考えてもどうかしてる。でも、"ソコ"を死に場所に選んだ。

 


「最後に、意地でも、この日が最後のライブであったことをお客さん達に言わなかった、パーティーバンドのプライドがあった。お客さんからショックでしたの書き込み(当時のインターネット掲示板)に対して、これは俺らの解散ライブじゃなくて、マシリトのレコ発パーティなんだよ!が、俺なりに最後まで悲しいライブをしないで終わった意地だから。」

と、DUNKは付け加える。

 


https://youtu.be/2C7OEFMUhsM

(その時の映像。最後の最後のMCで"パーティーしようぜ!"なんて普通言えるかよ。ちなみにステージに乱入する緑色のロンT着てるのは20年前の俺。)

 


俺は未だにこの動画を最後まで観たことがない。いや、もっと正直に言えば見たくない。

 


"俺の中では死んじゃいない"というカタルシスに酔うつもりもない。ただ、確かな事はこの日を境に小手もマシリトも絶対に解散だけはしないように、もう、誰にもこんな思いはさせたくない、という理念が芽生えた。そういう意味では、現在の我々が志す音楽に深く根付いている強烈な体験だった。

 


(余談だがこの日、来場者全員に配られたDVDが"IZASARABA"のMVだった。現在、YouTubeに上げられているモノはそれの転用だろう。※当時、YouTubeどころかインターネットすら未開拓の状態だった。)

 


モラトリアムの中を生きている、それは個人の自由だ。しかし、共同体というのは不思議なモノで一つのパーツが外れただけで、その歯車はゆっくりとバラバラになってゆく。だから、俺たちはこの日以来、SMKをやっていない。今日まで、だ。

 


正確に言えば、今回の9/23のイベントはSMKではない。"いつかきっとうまくいく。いつの日にか報われる"と歌い続けた小手のイベントだ。

 


少し感傷的に書いてしまったので、次回は"最後のSMK"から今日まで、一体何があったのか?を、お送りしたいと思います。

 

https://www.antiknock.net/schedule/20220923night/

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