どこまで遡るべきか、考えると不思議な気持ちになります。
恐らく、最初の接触は、渋谷乙(キノト)
ブッカーの折居くんと、一緒に力を合わせて組んだ、国内ツアー”自利利他”シリーズが、発端になっているような気もします。
初めて、打ち合わせで、彼らの使っている池袋のスタジオロビーで待ち合わせた時、ベースのオバくんの目が静かに光ったのを覚えている。
感覚的な話だけど、「あぁ、この人は裏切れない=長い付き合いになりそうだ」と感じた。
SAD COMMUNICATIONイベントも、音源も、力を貸して貰った。奇しくも、彼ら初のUSツアーファイナル(&初代ドラマーのケイジさん脱退日)=サッコミュファイナルになったりと、まぁ、少しずつお互いの歩幅が近付いてきた感覚はありました。
新体制になった彼らのデビュー戦は、吉祥寺WARPで、マシリト,stonedz,AYNIW TEPOというウルトラアウェイを用意させて貰った。stonedzのDJで共演した、琥珀さんが、彼らを気に入ってたのが、すごく嬉しかった。
その辺りからか、裸体のシルエットメンバーは、自分らが出演してもいないのに、打ち上げだけ顔を出したり、仲間のイベントに遊びに来ては、朝まで残る、みたいな超不毛なストイックさに磨きがかかっていった。sunnysiderのフジサキくんと共に『バータイムハンター※通称:BH』という打ち上げ専門のクルーまで組織し始めた(笑)
僕は、彼らが、将来的に見ても、海外での活動がメインになっていく予感はしていたので、日本国内での、例えば、流通とか、プロモーションとか、(自分が出来るのは草の根運動レベルだけど)手伝おうか?と持ちかけた。実はこの話には、結構、長い助走段階があるんだけど、それは割愛。
そのタイミングが、まさに、昨日、毅くんが上げていたBlogの時間軸と重なります↓
まぁ、ここからは、僕の独断で綴るのは、はばかられるから、基本、彼らに任せるけど、今年の11月12日、つまり自分の40歳の誕生日、この日から『日本暗闇音楽協会』が始まってしまう。
フリーになって3年、肩書きなんて無いも同然だった僕が、”日本暗闇音楽協会理事長に就任”…これ、親になんて説明すればいいんだろう…(笑)
アメリカにもついてきてくれ、と散々言われたけど、それは、先述した初心に反するので、有難くも断らせて頂いた。
今は、レーベルでもないし、現段階では、ただの”概念”に過ぎないけれど、ハナっから怪しい団体なんだから、裸体のシルエットに限らず、周りを巻き込んで、仕掛けていこうと思ってます。
「謎の組織作ろうぜ!」
そんな小学生レベルのことを、ずっとやる為に。