お題を知人から貰うようになって、1周年。
想像以上に自分が普段、何を考えているか
後から読み返してみて面白かったりする。
その大半が黒歴史だけれども
たまには恥(?)を晒していないと
自分が自分じゃなくなるような気もする。
今回は絵描きであり、シンガーソングライターのヤマノレイくんからいただきました。
「僕は自分でちゃんと作詞をするようになったのがここ3年くらいで、積み重ねが少なく手探りでようやくなんとか形になる、といった感じです。
印藤さんは、作詞をする時に意識している事や、作詞のこういう所が面白い、と感じている事などはありますか?」
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パッと思いつくのは、甲本ヒロト氏のようにシンプルな言葉で熱いメッセージを残せたらいいなってのは、ずっと思っていて。
それが一番難しいんだろうなって気持ちもどこかにある。常に同居している。
カッコつけたからカッコいい
カッコつけないほうがカッコいい
そんな矛盾の中でいつも悶々としている。
それすら内包した自分を誰かが何処かで見ていて
見てくれていて励みになっている。
人智を超えたパワーを持っているのが
俺や、皆の知る、音楽。
音に乗せたときの手触りだったり、質感だったり
なんだか抽象的な言い回しで申し訳ないけど
硬いとか、柔らかいとか
俺は特に意識している(の、かもしれない)。
鋭い、とか、冷たい / 温かいとかも存在するような気がする。
文字の羅列だけで人の心を動かそうとすることに
自分は長けていると思わない。
その代わり、音楽に乗せて何かを伝えたいとき
音楽以外では言い表せない表現方法が
自分にとっては不釣り合いな作詞という行為なんじゃないかと
最近は考えるようになりました。
不釣り合いというのは、少し説明不足か。
俺にとっては、歪(イビツ)で異質な感覚を伝える為には必要不可欠な要素で
ソレはロックバンドをやる上では大事な個性なんじゃないかな。と、思うわけです。
素敵な作詞方法は一切語れないが
自分ってこんなに矛盾しているんだっていうことを証明したり、再発見できる面白いツールでもある。
毒が薬になる。薬はもともと毒である。
そんな本来は矛盾とも言い切れない両サイドの
対極から中心に向かって
眺めるような視点で描いてる。
メタファーとして街の景色や生活感、友達と話したことなどが登場する。俺にとっては非常に具体的な方法なんだけど
なかなか理解され辛いだろう。どうでしょうか。
また、必ずしも理解されることが正解とも言えないので
感覚的に聴いて貰えるとありがたい
みたいな自分もいたりして。天邪鬼。
自分を掴まえることって本当に難しいですね。
感謝してます。とにかく自分のバンドに、音楽にメッセージを感じ取っていただけるのであれば、どんな形でも皆さんからフィードバックを受け取って、次の作品づくりに活かしたい
とは常日頃から思っています。
レイくん、ありがとう。また個展楽しみにしてます。
1人で作ることに限界を感じている。
決して悪い意味ではなく
バンドをプロジェクトとして考えた場合
俺も誰かに話を聞いてもらいながら
アドバイスを受けながら
微差な軌道修正を毎日繰り返して
例えば、リリースやライブに近づく。
自分の、自分たちの音楽が
独り歩きしてくれることが重要
それを望んでいる
それに耐えうる強度や念を込めて
演奏する。
世の中には素晴らしい音楽がたくさんある
俺もその一部になれたら嬉しい。