残留思念

弘明と久しぶりに、恐らく1年越しにスタジオに入った。8ビートが主体のセットリストを一巡、回してみたものの、しっくり来なかった。当たり前だ。俺たちはその間、かんなと繰り返しスタジオに入り、謂わば"マシリトver.3"を練り上げながらライブをしてきた自負もある。

 


タバコ休憩を終えて、チューニングを確かめ合い、ベースアンプの位置替えやマイクの要らない周波数を取り除いたりするとアラ不思議、2周目からはピントが合ってきた。それもその筈、弘明だって、さよならポエジーで全国を回りながら(なんと今月だけで11本、ライブしたそう)新たなグルーヴへの追及に余念がなかった筈だ。

 


3周目からは徐々に呼吸が合ってきて、奇しくも、1年前のbacho戦を更に一回り大きく、豊かで、良い意味で荒削りなマシリトが戻ってきた。

 


俺はこのままANTIKNOCKで演りたいくらいだった。もとい、そんな"ライブやりたいぜー"みたいな感覚(?)が自分の中に残留思念の如く、残っているとは思わなかった。誤解をしないで欲しいのは、かんなとの"ver.3"は演奏による一体感に陶酔するような、新しいタイプのマシリトだった。比べて、弘明の"ver.2"(改、とでも名付けておこう)は大東京音像を数曲RECした本人であるから、楽曲によっては"攻めのマシリト"を堪能できると思う。

 


サポート、という言葉を極端に嫌うのはそれが理由だ。俺にとって偉大な2人のベーシストから受けるインスピレーションは果てしない。お互いがお互いを研磨しなければ成り立たない。それは絶対的に、彼ら(彼女ら)の人格の深いところに俺と石川大輔が呼応する形で呼び覚まされる。これは、本当にメンバーながら光栄なことだ。

 


スピリチュアルな体験、という人もいるだろう。だがしかし、音も、恋愛も、家族や友人との絆も、全て目に見えないモノ(あるいは感覚)で構成されている。目に見えないからスピリチュアル、オカルトだと決めつけるのは早計だ。何にせよ俺は、"感じる力"がある人と一緒に居たい。

 


分かち合うことが前向きなイメージなら、きっとうまく行くと思っている。自己肯定感や、自尊心、自己愛とは、世に叫ばれがちだけども、俺はお前を信じている。お前が信じるか信じないかは極論、どうだっていい。ライブだって、謂わば、"一方通行なモノ"を、君がどう受け取るか。ただ、それだけの話なんだから。現場で会おう。

 

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