柄にもなく一年を振り返る。今頃、好きな女にフラれて、大東京音像のリリース日と9SARI CAFE & BARのオープン日が被るという異例の事態。
忙殺される中で一切、空気を読まない緊急事態宣言が繰り返し勧告され、右往左往七転八倒の日々が続く。
物作りの陰で、ライブハウスやそれを取り巻く環境、従うしかない演者を見てイライラが募った。
自分の無力さを呪い、言葉少なからずして毎日、部屋に篭り、音楽にぶつけた。殴り描いたデッサンが、やがて整合性のとれた一枚絵として浮かび上がり、まるで油絵のような凹凸や光沢と陰影を落とすまで取り憑かれたように作曲した。
ニュートンはスペイン風邪が流行った頃、自粛中の2年間で万有引力の法則に辿り着いたと聞いた。
様々なトラウマや障害が、あらゆるクリエイターにとってまさに試されている一年だったと思う。
俺は周りの前向きな人間たちに助けられたから、しばらくはこの2021年にしたため上げた作品を世に出すまでは死ねない。俺自身、本当は暗い人間でもないし、それこそ柄じゃないが今度は俺が救う番だ。
感染者数がピークの頃、シークレットメサイアを発表出来たことも自信に繋がった。頑なまでにライブをしたがらなかった俺自身のアンサーであり、皮肉な世界線が映像美も相まって人々の目にとまったことは素直に嬉しかった。
そのチーム・プロジェクトの結束力を最大限に活かしたイベントが先月のbachoとの2マン@新宿ANTIKNOCKだった。結果は言わずもがな、椅子席や配信など初めての挑戦に対して全国各地からの肯定的な声に包まれてやっと自分自身、息を吹き返したような気がした。アーティストとして。
俺よりも遥かに厳しい環境で、努力している人もいるだろう。が、しかし俺には俺にしか作り得ないモノをやっぱり、どうしても作るしかないわけで、それを喜んでくれる人がいる限り、この人生は続く。キャリアが長いことを誇らしく思ったことはないし、まだ何も成し遂げていないから。
同時に、この人生しかなかったんだな、と痛感する。他人や、一般的な幸せが目に入る時もある。俺の地獄は俺にしか理解できないのであるなら、俺はエレキギターという翻訳ソフトを使って俺が見た景色を俺から見える世界を音楽という旋律やリズムで表していくしか、人の中では生きられない。そう腹を括るのに43年もかかってしまった。
出来るだけ周りの人には幸せになって欲しい。動物や植物を愛でるような心がヒトに備わっているなら身内や同胞を愛してやって欲しい。お互いが与え合い、分け合う世の中になって欲しい。
ここまでザッと一筆書きで文字にしてきた。
最も華やかで、最も辛かった、二律背反のカオスがこの365日だったと思う。同時に、それが俺をアーティストたらしめるという宿命・使命からは逃れられないんだと諦観する。誇大妄想だと笑ってくれた方がいい。それもエンターテイメントの一部だと解釈するから。
俺という人間は不完全で、気が利かず、身勝手に疲れやすいポンコツな社会性のない無様な生き物だ。だけど、俺の作る音楽は、俺たちが作り上げた全ては醜いわけがない。何層も重なったそれぞれの地獄から濾過された一滴のエキストラヴァージン、そこに自身を投影してくれる"あなた"という存在がいたからこそ、俺たちは輝ける。
17年前のマシリト、2ndアルバムのセルフレビューを書かせていただきました。良かったら是非。
http://freezine.jp/column/column019/2021/12/8279/
2022年がもうすぐそこまで迫っている。既に8曲、プリプロは終わっていて、そのうちの半分はレコーディング済み。リリースの予定、誰とどう絡むのか、青写真も段々と見えてきた。
シン・マシリトのお披露目は近い。お楽しみに。