昨晩、夜の環七を自転車でODEONに向かった。
今日で閉店だという。
ショウゴさんのことだから、前向きな決断だと思っていたが、やはりその表情からはタフな未来しか想像してないようだった。
ZEROHOURという愛媛の伝説のバンドが、後世に残した文化は、eleki(ORANGE HEADS PRODUCTIVE),regaなどに引き継がれ、そのスピリットとDNAは僕にも少なからず影響を与えた。
そんな後輩たち(僕にとっては同世代の仲間たち)、あの頃、日本全国を散々ツアーに回った盟友
今は、何人かリタイヤしてしまい昨日のような、言わば"同窓会"的な集まりにも(各々のタイミングもあるだろうが)顔を出さなくなった奴もいる。
ユニコーンの名曲『素晴らしい日々』が頭の中に流れる。https://youtu.be/UA33zQ-DY1w
心を病んだり、警察のお世話になったり、事情は人それぞれだが、自分は今も音楽を続けていて
"バンド"というフォーマットで表現出来ていることに最近、とてつもないカルマを感じる。
言わば、"バンド"とはその実、"音楽"と切り離れたところにある【友情物語】だったりする。
ファンはその"一瞬の永遠"をステージや音源に重ね合わせ、自身をそのストーリーに登場させることで"何か"を埋めることができたり、あるいは満たされていくのだと思う。
"何か"とは何か?
それは、"音楽"が僕らをギリギリ繋ぎ止めている【答え】そのもので、メンバーだって同じはずだ。
しかしながら、それぞれ家庭が出来たり、先述したようなのっぴきならない事情でいとも簡単にその結束は崩壊する。
僕自身、先日インタビューで答えたように現在、7,8人のクルーに助けられているという前提でやっと音楽に向き合える状況だ。
掘り下げた言い方をしてしまえば、休止前のマシリトは"バンド"が目的だった。今は"音楽が目的でそのステージごとに目標が設定されているだけの話だ。
ロマン、カタルシス、スピリット…綺麗事?
挙げ出すとキリが無いのに、その仕組みを理屈で説明しようとすればするほど"野暮"になる世界。
もちろん、自分が望んで足を踏み入れた領域だけれど、闇は深い。そして、当然のように毎日、脱落者が現れては消えてゆく。
いつのまにか、生き残りをかけたゲームに参加させられているような気分だ。だからこそ、
やめていったやつの分もやる
そのかわり、振り返ることはしない
走り続けている間は。