一年に一度の帰省
親父の実家である茨城は赤塚に日帰りして来た。
流石に、もうこの歳になると感謝しかないが
結構、自分は父親とサシでいるのが苦手だった。
今も、少しだけ正月を迎える度、軽くナーバスにはなる。
うちの家族は、母親、弟含め、4人が別々に暮らしている。
これと言った明確な理由はないが、その距離感
関係性がちょうどいいと皆、思ってるみたいだ。
父親も、自分が帰る度にそのような適切な距離感について話す。
アルコールが回ってくると(俺は飲まない)毎回、
父親から見た「やや特殊な関係性」の家族について話す。
全く、それ自体が苦痛とは思わないが、(それに一般的な家庭の暮らしを知らない)一年に一度しか帰って来ない放蕩息子を前に、
ついつい愚痴らないように、一方的にではあるが、間を置いて話す。
その独特のタイム感や、沈黙の最中、チッチッと鳴る掛け時計の針の刻みを耳にすると
練馬の実家に4人で住んでたことを思い出す。
俺はずーっと、ただ、ただ親父の話を聞いているだけ
その内、饒舌になり過ぎた自身に気付いたのだろうか
不自然なくらい冷たく、寂しそうに「そろそろ帰れ」と目を合わせずに言う。
まるで、予め用意されてたかのような台本の棒読みを嫌って、面倒くさそうに、言う。
僕は、たったこの3,4時間にも満たない帰省が
お互いの儀式や、セラピーに通ずるものがあると考えた。
年々、コピーペーストのように掃射される親父の言葉や表情は、年々、早送りになるビデオを見ているような気分だ。
時折、ファニーに努めてくれる横顔を盗み見て
そこに自分の面影と出会った気がする。
文章的には正しくないのかもしれないけど
この人に育てて貰った証に出会った気がする。
自分の周りには、家庭環境が複雑なやつ、気まずくて親とは疎遠なやつ、ほぼ勘当状態に近いやつ
が(そういえば)昔から集まってくる。
自分も帰省中のバスの中で「父親 仲悪い 原因」とか検索かけちゃうくらいには気まずいのだろう。
仲間にも、後輩にも、詳しく聞くことは避けているが
例えば、音楽によってそういった特殊な環境
あるいはそういう日本や時代背景をもとに
俺たちは集まっているのかもしれない。
別に被害者意識じゃない。
表現をする以上、加害者にならないといけない
あるいはそういう固定概念 強迫観念から生まれる芸術を
ロックンロールと呼ぶに相応しいのかもしれない。
親父、ありがとう。