#カミソリギターレディ #ブルーフィルム

15年も前の音楽が、時代の流れも手伝ってか、再評価されることは素直に嬉しく思います。


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https://linkco.re/xgn5Dv4v


当時、最もキャッチーで、最もポップな手法でハードコアをやろうと思った葛藤がココには詰まっていて、今(改めて自分では聴こうとは思わないけれど)のスタイルとは、良い意味で真逆の手法だと推測します。

例えば、「売れたい」「成功したい」等のわかりやすく言ってしまえば、”スターダムにのし上がる”ことへの渇望が、楽曲に現れてるんじゃないかと思います。それ故にピュアで、青臭い。

だから、この時期、この年齢でしか出せなかったモノだと受け止めてます。恥ずかしいですが。

このアルバムと、(ついでにBlogで触れ忘れてしまったので紹介しますが)MUSHAxKUSHA,SEGAREとリリースしたsplit『ブルーフィルム』は、まさにその”渇望感”が顕著に表れている作品だと思います。


お陰様で、ロッキンオンにレビューして貰ったり、見開きでインタビューが載ったり、テレビやラジオで自分たちの音楽が取り上げられたりすることに正直、興奮もしました。

でも、捻くれ者の僕は、何もかも自分でやりたがってしまった為に、そういう華やかな世界には(自分で望んだ割には)どこか懐疑的で、ずっと不信感が拭えなかった。そんな想いこそが、自分の反骨精神だと勘違いしてたし、当時は、目の前のお客さんが全てだった。つまり、その先のことなんて一切考えてなくて、恐らく、差し伸べてくれた手を振り払った数の方が圧倒的に多かったんじゃないかと思います。自信が無かったんですね。

矛盾しているようだけど、もちろん、今もライブとなれば”目の前のお客さんが全て”ではあるんだけれど、その日に至るまでのストーリー、と、”その日から始めるストーリー”の狭間で呼吸しているような感覚。これを皆と味わう為に、ステージに立っているのは明らかに昔と違います。

その風景に、ANTIKNOCKが必要で、クルーの皆が奔走してくれて、デザイン性も込みで初めてエンターテインメントが成立することを知りました。だから、その人たちも背負って歌う。そこには、フロアも裏方も存在しない時間だけが在る。

もう、自分の手から離れて、”皆の音楽”として機能してくれることが今は一番、嬉しく思います。