音楽に勝ち負けはありますか?
と、聞かれたら、自分はYESと答えると思います。
答えはシンプル、何故なら、”負けたこと”があるからです。
昨日、ANTIKNOCKで行われた、ドラムバトルトーナメントの審査員をやらせて頂いて、一つ、確信に変わったことがあります。
そもそも、自分は、大会にエントリーすること自体、或いは、オファーを受けて、出場を決意する行為そのものが、皆さん、既に、”自分と戦って”臨んでいるはずだと思うのです。
オファーを蹴ることだって、はなっから出場しないことだって、断る理由なんて、無限にあるでしょうから。
だけど、”やる”理由は一つ、そこに集まった人たちは、その時点で、自分の中では立派な勝者です。
これは、音楽愛という意味での、”いやいや、勝ち負けじゃないでしょ”という側面も非常によく分かる、ただ、当事者、楽器を演奏する人、表現をする人、だったら、別にバトルや大会じゃなくても、一度や二度、悔しい思いをしたことがあると思うんです。
自分は、先輩や大事な人に、「お前が自ら、好んで(選んで)来たこの世界で、何かを挑まれたときに、絶対にお茶を濁すなよ」と言われてきました。
その価値観は、一般的な善悪でもなければ、標準/水準の話でもない、ただただ、青臭い表現にはなってしまうけれど、”ダサい”か”カッコいい”か、の二択しかありませんよ、という意味だと捉えています。
話を戻しますが、自分は、昨晩、24人が戦っている姿、横顔を、それこそ、特等席で観ることが出来て、とても感動しています。
月並みな台詞だけれども、「勝ち負けに意味があるのではない、挑むことに意味がある」と、痛感させられましたし、逆説的に捉えれば、”勝ち負けがなければ、挑むことだってしないですよね”、ということ、
挑まない理由、状況、タイミング、体調、環境、etc...は、無限にあるけれど、挑む理由は一つ
”やる” か ”やらない” か。
その、たった一つ、が、僕らに強烈なシンパシーを呼び起こし、横顔たちのドラマに繋がっているんだと思います。
快く、潔く。